意識の浮上は突然だった。 震える瞼をゆっくり持ち上げる。うすく目を開いたその場所は薄暗かった。 見覚えのない部屋に不安を感じながらそっと耳を澄ませる。 あれだけ煩かった戦の音は、しない。 横たわった身体を起こそうとすると腹部に走った鋭い痛みに思わず顔が歪んだ。 歯を食いしばって痛みをこらえ、なんとか上半身を持ち上げる。 気が付いてみれば、背中も脚も腕も。身体のあちこちが痛かった。 「お、やっと起きた? 伊達のお姫さん」 突然、何の前触れもなく聞こえてきた声に肩がはねる。 驚いて振り返ると、少し離れた位置に気だるげに腕を組んだ男が立っていた。 壁に背を預けて気を抜いているように見えるが、隙どころか気配も全く感じさせない。 腕の立つ男、それも相当の。緊張に掌がじわりと濡れる。 「…貴殿、は……此処は一体…?」 「覚えてないの、本当に」 きゅうと細くなった目と静かな声で問われる。 何かが記憶の底でチラついた。この目と声を、私は知っている。 …そうだ。確か、あの時。 この薄暗い部屋の中でも鮮やかな橙の髪。 あの時、追っ手を食い止める馬上の私の懐に、目にも止まらぬ速さで飛び込んできて 一撃を喰らわせた男の髪の色は、確か。 「武田の…忍」 膨れ上がる殺気を添えて睨み付けると「おお怖い」と首をすくめる。 どこまで本気なのか分からない、よく掴めない男だと思った。 軽い動きで寄りかかっていた壁から離れ、手が届くか届かないかの位置まで歩み寄る。 …嫌な目だ。見下ろされるのは好きじゃないのに。 「アンタは捕虜だよ。そして大事な、戦交渉の要」 吐かれた言葉は屈辱、ただそれだけだった。 予想はしていた。言うことを聞かない身体、閉ざされた空間、冷たい目をした敵の男。 女とはいえ武将として生きるこの身にとってこれ以上の屈辱があるだろうか。 目の前の忍に顔を見られたくなくて、下を向いたまま目をつぶる。 ギリ、と奥歯を噛んで、そのまま――― 「…っ……!!」 視界が、一瞬にして反転した。 口の中に押し込まれた指。 覚悟した痛みの代わりに、自分のものではない血の味が口内に充満する。 驚いた、と私を取り押さえた男が声を漏らした。 「自害した女は今までにも見てきたけどさ、こんなに思い切りよくやったのはアンタが初めて。 でも覚えとくといい。舌を噛み切るには相当の力と覚悟が必要だよ。 後者はともかく、今のアンタの体力じゃ痛い思いをするだけだ」 耳元で囁かれる冷静な声に、息苦しさと悔しさから顔を歪めて 口の中に突っ込まれた忍の指を必死に掴んで吐き出す。 つ、と唾液混じりの血が口の端を伝った。 錆びた味がする。他の男、それも敵の男の血。荒い息で咳き込みながら口元を必死に拭う。 忍は気にした風でもなく黙っていた。 私の歯形に沿って皮膚が破れて血が滲む自分の指を服の裾で軽く拭うと、 おもむろに片膝をついて頭を下げる。 「伊達政宗公が正妻、殿。その御身、我ら武田軍が預からせて頂く」 2008/02/11 |