軍を二つに分けて挟み撃ちにする作戦は思いのほか上手くいった。 奥州の竜は頭も切れるから、一歩間違えばこちらが不利になる可能性も十分あったのだが、 そこは忍の腕の見せ所というもの。伝達にも偵察にもいつも以上に注意を払った。 結果は上々。別動隊が真横から攻め、あの伊達軍を撤退にまで追い込んだ。 (でもまだ、油断は禁物ってね) 武田側の兵の士気が上がるのを肌で感じながら、援軍に混じって後退している伊達軍を追う。 けれど追い付いた先にいたのは予想外の人物だった。 藍に透ける長い黒髪。 鎧の隙間から見え隠れする白い肌。 凛と張り詰めた目を見張る美貌。 一目で分かった。 あれが奥州の伊達男を夢中にさせたという竜の花嫁―――。 彼女の周りには手傷を負わされた兵たちが倒れていた。 その太刀筋はまさに鮮やか。馬を巧みに操りながら、最低限の動きで敵の進軍を確実に封じる。 だが、彼女自身もいくらか傷を負っているらしかった。細腕から流れる血が痛々しい。 一人で追っ手を食い止めるために残ったというところか。 男顔負けの剣技と度胸に思わず目を見張った。 しかしこのままにもしておけない。 兵の間をすり抜け、気配を消して彼女の背後に忍び寄ると、一瞬の隙を突いて鳩尾に拳を入れる。 馬が暴れ、痛みに見開かれた目が俺を捕えた。 「っ…、…! …き、さま…!!」 「悪いね。女に手をあげるのは趣味じゃないが」 落ちてくる瞼に抗うように最後まで俺を睨み続け、しかし彼女はそのまま気を失った。 あの感触を今でもはっきり覚えている。 こちらの優勢、しかし戦の決着をつけるまでには至らなかった今回の戦から連れ帰った、 まさに戦利品とも言える竜の花嫁との騒動のあと。 仲間に彼女の見張りを頼み、主である信玄公の部屋へと向かいながら掌に視線を落とす。 意識をなくした彼女を受けとめた、あの時。 そして舌を噛もうとした彼女をいささか強引に押さえつけた、あの時。 自分の手が触れたのは、あまりに細くて軽い身体だった。 (…何を感傷にひたってるんだか、俺は) 息を吐いて雑念を消し、たどり着いた先の襖を開ける。 「猿飛佐助、ここに」 「うむ。様子はどうじゃ」 「意識は戻りました。さすがに驚いたようで少し暴れましたけど、今は落ち着いてます」 自害しようとしたことは言わなかった。 未遂で終わったわけだし、無用な心配を掛ける必要はないだろう。 簡単な報告に頷きながら我らが大将は「うぅむ」と唸る。 「独眼竜の嫁か。女の身で殿(しんがり)を務めるとは、敵ながら見事よのう」 「…お館様は、どうなさるおつもりで?」 「儂とて無闇に戦を長引かせたくはない。うまく事が運べば、これ以上血を流すこともあるまいよ」 佐助、と名を呼ばれて顔を上げる。 見上げた主の目は強い光を帯びていた。力強い声が鼓膜を震わせる。 「そのまま捕らえよ、決して殺すな。逃亡も自害も許さぬ。 竜の嫁を、手懐けてみせよ」 2008/02/19 |