「お姫さんが飯を食わない?」


に身の回りの世話役として付けている部下からの報告に思わず眉をひそめる。
はい、と返事をする女は女中の格好をしてはいるが、中身はれっきとした忍だ。
毎回必ず目の前で毒見をしてみせることも言いつけてあるし、
相手を刺激しないような事の運び方も叩き込んである。
それなのに、だ。


「お茶はときどき口にされるんですが、食事だけはどうしても…。
 『申し訳ないけれどいりません』の一点張りで」
「…なんか妙だね、それ」


敵国から出されるものを口にしたくないという気持ちは分かる。
しかし話を聞くに、が食事を拒否するのには何か、もっと別の理由があるような気がした。
意地でも食べずに死を選ぶというなら何も口にしないはずだ。
水分だけは取ることも、丁寧な言葉遣いもおかしい。

伊達政宗の正妻であるを捕らえてから三日。
初日はほぼ意識を失っていたとはいえ、怪我と疲労で体力はもう限界に近いはず。
ましてやこの状況だ、精神的な苦痛もあるだろう。
このままではまずい。


「仕方ない。説得してみるとしますか」


がしがしと頭を掻きながら、赤みを帯びてきた空を見上げた。
そろそろ夕餉の時間がやってくる。




「どうして食べてくれないの」


数日振りに会った彼女は青白い顔で俺を見上げた。
抱えてきた夕餉の膳を置きながらその顔をじっと見返す。
いくらか痩せてはいたが、その美貌と両目に宿る光の強さは失われてはいなかった。


「…考えて、いるの」
「何を?」
「生きるべきか、死ぬべきか」


はっきりとした口調で、言葉のひとつひとつを噛み締めるように言う。
まるで自分に言い聞かせるように。


「…お姫さんに選択権はない」
「分かっています。でも、違う。これは私の決意の問いかけ」
「生死の間にどんな決意が必要だって言うんだ」
「理屈じゃないわ。これは私が、最後まで守らなければならない誇り」


意図的に低くした声にも彼女は動じなかった。
けっして逸らされない瞳がまっすぐに俺を映す。



「たとえ選択肢はなくても、私は、伊達政宗の妻だから」



―――ああ、と息を吐いた。
分かっていたことだった。彼女はそういう場所に立っているのだ。
奥州の覇者の妻という絶対的な立場に。
そしてそれ以前に、このという女はその重荷をただ背負っているだけではない。
一人の女として、重荷が同時に持っている誇りごと、すべてを受け入れている。


「食べることは生きること。だから私は、 」
「あんたは死ねない」


続けようとする言葉を遮って、言い放った。
口をつぐむ彼女をじりじりと壁際に追い詰めるように畳み掛ける。


「お姫さんが逃げても死んでも、俺たちは伊達軍を攻める。
 あんたが伊達の旦那にとってどれだけ大きい存在か、少なくとも俺はあんたより分かってるつもりだ。
 …大事な仲間や部下、夫を死なせたくはないだろ?」


『仲間の死』という卑怯な脅しの言葉を口にした、そのとき初めて、俺は彼女が怯えた表情を見た。
打ちのめされたような顔で、しかし彼女はついに目だけは逸らさなかった。
瞬間、ずきりと痛んだ胸を服と理性の上から押さえつける。
なんで痛むんだ。そう心の中で自分自身に悪態をつきながら。


「お姫さんは生きなきゃならない」


最後にそれだけ言って、彼女からゆっくりと離れた。
扉の前まで下がって格子に背中を預ける。
は小さな手を胸の前で組んで、肩で大きく息をしながら何かをじっと考えていた。
どれだけそうしていただろう。


「…いただきます」


すっかり冷めてしまった吸い物の碗を手に取ると、
彼女はゆっくりと、けれど確かに、碗のふちに口をつけた。
白い喉が小さく動く。

かすかに震えているように見える手で箸を動かす姿を、
俺は彼女が膳に乗せられたものすべてを食べ終えるまでじっと見つめていた。










2008/12/09