この場所で、捕虜という立場を受け入れる決意をしたあの日から数日。
ようやく少しずつ喉を通るようになった食事のあと、
しばらく姿を見せていなかった猿飛がひょっこりと現れた。
「顔色よくなったね」などと微笑みながら、あいかわらず軽い調子で話しかけてくる。

彼の声と微笑みに、私は無言で応じた。
身体をかたくし、相手の目をじっと見ることが、今の私にできる唯一の抵抗だった。
そんな私の様子に猿飛は小さく苦笑しながら、


「今日はお姫さんに良いものを持って来たよ」


そういって、手に持っているものを示してみせる。


「これ。アンタならすぐ分かるでしょ」


警戒の糸をゆるめない私にはお構いなしに、
彼は忍らしい動作で音もなく私に近寄り、手の中のものを差し出してきた。
突きつけられたまま動かない腕に、おそるおそる差し出されたものを受け取る。

丁寧に折りたたまれたそれは、一通の文だった。


「悪いとは思ったけど、前もって内容は改めさせてもらった。
 だいじょーぶ。改竄なんてしてないから」


有無を言わせない空気に促され、ぎこちない手つきでそれを広げる。
途端、ふわりと頬を撫でる懐かしい香。
白い紙一面に綴られた、達筆で、だけど少し癖のある文字。

…間違えるはずもない。
それは確かに、政宗からの文だった。

まず最初に、怪我はないか。ひどいことはされていないか。
きちんと食べて、決して自分を見失わないように。
そうして最後に、必ず助け出してやるから、待っていろ。


「…良い旦那さんで良かったね」


やわらかく静かな声で、はっと我に返った。
片膝をつき、私と視線を合わせるように身をかがめている猿飛と目が合う。
私をじっと見つめるその目はおだやかだった。
少なくとも、張り詰めていたはずの警戒の糸が、思わずゆるんでしまうほどには。


「良かったら返事、持ってってあげるよ。
 内容は確認させてもらうけど、それでも良かったらお館さまに頼んであげる」


それは政宗の文を渡された以上に意外な言葉だった。
いくら一国の主の妻とはいえ、捕虜という立場に違いはないのだ。
それなのに、夫からの手紙を渡すことはおろか、返事を書くことすら許可するなんて。

待遇が良すぎるという事実より、この猿飛佐助という男の気持ちに驚いた。
たとえこれが自分を油断させるための手段にすぎなかったとしても、
彼のしてくれたことを嬉しく思ったのは嘘ではなかった。
もしも出会ったのが敵としてではなかったら、自分はこの男を好ましく感じたかもしれない。
しょせんは可能性の話だけれど、それでも。
不器用で、けれどお人よしの、優しい人だと。


「…猿飛、さん」


初めて、名前を呼んだ。
ここを生きて出ようが死んで出ようが、口にするものかと思っていた。
彼が息を呑んだのが気配で分かった。



「……ありがとう…」



胸に抱きしめた文が、こちらを見つめていた彼の目が、
つめたく押し殺していた私の気持ちを少しだけおだやかにした。










2009/04/20