ちろちろと蝋燭の炎が揺れている。 夜闇と灯りとの間に紛れて浮かび上がるの顔は、 あまり見慣れない化粧と着物のせいか、まるで知らない女のようだった。 「…世辞抜きに綺麗だ。」 「そんな、もったいないお言葉です」 「……本当に、行くのか」 「政宗様のお役に立てるのでしたら、私はどこへでも参りますよ」 いつものようにやわらかく微笑んで目を細める。 明日の朝、こいつはこの城を去る。 は長いこと俺にとって「女」ではなく、限りなく「母」に近かった。 実母に厭われ嫌われた俺に気を遣った父がどこからか連れてきた、話し相手兼世話係。 早い話が母代わりだった。 年は変わらなかったが、はどこか大人びていた。 俺は右眼を失ったばかりの無力な子供だったし、 いつも傍で微笑んでいるに心を許すまで、そう時間は掛からなかった。 俺ももよく笑った。 楽しい、と素直に思える時間を彼女はくれた。 俺が元服し、話し相手がもっぱら部下になった後もとの距離は変わらなかった。 実は武士の家の出だったらしい。今度は護衛として俺の傍にたえず控えていた。 女の身にも関わらず、剣から弓まで何でも器用にこなす姿には正直驚いたが、 らしいといえばらしいのかも知れない。 立場が変わってもはよく働いた。 ああ、今思えば あの頃が一番、自分に正直だった気がする 事の始まりは、つい先ごろ同盟を結んだばかりの甲斐からの書状だった。 紙上の約束では不安だというのは分かるし、正直こちらも何かしら策を講じるつもりだった。 だが、これだけは予想外だったと言っていい。 ―――甲斐が要求してきたのは、だった。 軽く探りを入れてみると、なんでも真田が一目惚れしたらしい。 曲がりなりにも武士の娘だ。嫁にするには身分も条件も十分ではある。 それを小耳に挟んだ信玄公が上手い具合に機転をきかせた、というところだろう。 余計なことをしてくれる。 数日間悩んだ末に、覚悟を決めて一対一で話をした。 書状の内容を告げるとは驚いたように目を見開いたが、最後まで黙って聞いていた。 話し終えて、どうする、と問いかける。 心のどこかでが拒絶の言葉を呟くのを期待していた。 この身で政宗様のお役に立てるなら、とは喜んだ。 気付いていれば良かったんだ を「母」でなく、一人の「女」として見ていたことに そうすれば俺は 俺たちは、 そうして今、と俺はここにいる。 この日のために用意させた着物は俺の見立て通り、によく似合っていた。 こいつは明日この城を去る。 俺の傍から、はなれていく。 「なぁ、後生だ。一度だけで良い」 押し殺した俺の声に、わずかに俯いていたが顔を上げる。 シャランと鼈甲の簪が涼やかな音を立てた。 こいつは明日この城を去る。 俺の気持ちを、知らないままで。 「この右目の傷痕に、口付けしてくれねぇか」 これで良い。 きっとは、俺が実の母に求める理想を自分に求めていると思うだろう。 だから、眼帯代わりの鍔を外して目を閉じるまでの その僅かな間に、痛々しいほどに顔を歪めたの頬を伝った涙は、 息子代わりの俺から離れてしまう寂しさだと、 そう、信じたい。
19, 一度だけ
2006/10/09 初めての筆頭が悲恋か… |