(耳を、塞いでいたんだ。)





Do not say anything.





「ああ…見てみぃ。星が綺麗やで」



ゆっくりと息を吐く。
冷たい地面に横になって、ボクの膝に頭を預けたの細い髪を梳きながら。
夜の空気が少し震えた。けれど、返事はない。


の言葉は、もうボクには聞こえない。
何よりも、誰よりも傍にいたと胸を張って言えるはずのボクでも聞けないんだから、
きっともう誰にも彼女の声は聞こえないんだと思う。

また少し辺りの空気が震えた。
視線を下ろしたその先でが微笑んでる。…微笑んでいると、思う。
さっきに比べて少しだけ唇の端が持ち上がっているから。
うすく口が開いた。何か言ってる。



「…寒い? ごめんなぁ。羽織るモンとか、何も持ってきてへんのや」



聞こえるはずのないの声を必死に聞いて、返事をし、笑いかける。
口を動かし、髪を梳く手も止めないで、
今にもどこかへ行ってしまいそうな彼女の意識を必死に繋ぎ止めようとする。



「薄っぺらいけど堪忍してや。隊長服やで? そうそう着れるもんでもないやろ?」



脱いだ羽織を彼女に掛けてやり、いつものように少しおどけた調子で語尾を上げたら
も少しだけ、本当に少しだけ肩を震わせて笑った。



こわいくらいに静かな夜のなかで、
だんだん呼吸が小さくなっていくの身体を抱えたまま、
いま目の前に広がっている現実をどうにかうまく受け止めようとしていた。
けれど、考えようとすればするほど大きくなっていく戸惑いが思考を邪魔する。
そして彼女の身体を包んだ羽織に広がっていく、その色も。



「この羽織、一番最初に考案して作ったんって誰なんやろうなぁ…
 どうせなら白やのうて、黒なら良かってんのに」



そう。もしそうだったら今、ここまで視覚的にボクを追い詰めることはなかった。
じわじわ広がっていく赤色に眉をひそめることもなかったのに。



「それだと全身真っ黒になるて? ボクたちは死神や、可笑しいことなんかあらへんやろ」



…ああ。でも、は。
だけは。
黒よりも白が似合う、きっと。

まっしろな着物を着て、広い部屋やきれいな庭や大勢の人たちの中で、
明るく楽しそうに笑っているのが似合うひと。
今からボクが歩もうとしている道とは、正反対の光景。



「―――…なんで君のことなんか、好きになってしもうたんやろ。
 ボク、痛いの嫌いやのになぁ……」



こんな所で、こんなふうにしている余裕なんてあるわけじゃなかった。
早く命じられた場所に戻らないと。
あの人の計画はすべてが完璧でなくてはいけないから。

(だからこそあの人は昨夜ボクに言ったのだ)

を、どうにかしろと)



「なんで、こんなに、好きになってしもうたんやろ……」



この感情を抑えこむことができていれば、
彼女を失うことも、自分の手でこの想いに始末をつけることも、なかったのに。


思わず手を伸ばして抱きしめた。その細い身体を、別の色に侵食された羽織ごと。
自分で奪っておきながら、下がっていく体温がひどく悲しかった。
頬をかすめる吐息が自分でもどうしようもないほど愛おしくて、回した腕に力をこめる。
だから、ほんのわずかに引っ張られる服の感触に気付くまで、少しばかりの時間を要した。

ハッと息を呑んで、首筋に埋めていた顔を上げてを見る。
今にも閉じそうな目を瞬いて、何か必死に伝えようとしているを。



「…、なに…。聞こえへん……」


「…聞こえんて……」



夜が、本当に本当に静かに揺れて

世界の空気が一瞬だけ切り取られて、ボクの記憶の奥底にはらりと落ちた。



「………、」

「…




、」



本当は、現実なんてとっくに理解していた。
ただ、目の前にある、変えようのない事実を受け止めるだけの心が
自分にはなかったというだけ。



「…あぁ、あかん。ほんまに寒うなってきた」

「寒いなぁ、……」



新たに流れ出した世界の中で、自分の鼓動だけが聞こえた。










2006/06/04
『お願い、何も言わないで。大好き、よ』