「ほら見てヘイハチさん、蓮の花がこんなに」
「こらこら。あんまり走ると転びますよ」
「大丈夫よ。もうちっとも痛くないもの」


はねるように軽い足取りで坂道を登っていくは刀を持っていなかった。
そういうヘイハチも、いつも背中にあったはずの重みはない。

(どこで失くしたんでしょう)

侍の証でもある刀がないというのは、ここがどこであれ大変なことに違いなかったが、
ふしぎと焦りや不安は湧いてこなかった。
彼女の声に誘われるように顔を上げる。坂道に伸びる一本道は終わりが見えない。


「…わたしたち、どこへ行くんでしょうか」
「こればっかりはさすがのカンベエ殿でもご存知ないでしょうね」
「やっぱ、地獄なんでしょうかねぇ」
「もしくは現世に戻るかもしれませんよ。やり残したこともたくさんありますし」
「と、いうと?」
「そうですね。私は一度で良いから、キュウゾウ殿の笑った顔が見たかった、かな」
「確かに! まぁ、どちらにしろ気の長い話にはなりそうですけどね」


ヘイハチの冗談に、は嬉しそうにふふっと笑った。
それから少し歩く速度をゆるめて彼の隣におさまると、手を繋いでもいい、と訊ねた。
ヘイハチはもちろん頷いて、けれど少しばかり恥ずかしそうにの手をにぎる。
蓮の花の大群しか見ていないのだ、と心の中で自分に言い聞かせながら。


「それからね」
「はい」
「あなたと、もっと一緒にいたかった」


息が詰まる言葉だった。
の言っていることは矛盾していたが正しかった。
どんなに同じ道にいようと、こうして手を握り合っていようと、
自分たちの身体は今きっと同じ場所にはない。

あの世界はたしかに少し息苦しかったし、優しいばかりの場所ではなかった。
だが、それでも間違いなく、生きていたから。


「…大丈夫ですよ。これからはもう、ずっと一緒です」


なぐさめるようなヘイハチの笑顔に、はしずかに微笑んで手を握りかえす。
ヘイハチの言葉も矛盾していたが、それでもやはり正しかったから。


「……そう、そうね。よろしくね、ずっとずっと」


刀を持たないかわりに軽くなった身体で、手を繋ぎあった二人は細い坂道を駆けていく。
乳白色の空の下で、咲き乱れた蓮の花だけが知っているだろう行き先を考えながら。





蓮の糸








2008/07/03
「刀がない」のはもう戦わなくていいのと、墓場に置いてきてしまったから。
「ずっと一緒」なのは、身体は離れ離れだけれど、想いはずっと一緒にいるよということで。