これは恋じゃない。
その一言で、僕は自分の身に起きている様々な症状を正当化しようとしていた。


第一、何がどうしていつからこんな状況になってしまったのか。
少し考えてみたけれど検討もつかない。気が付いたらいつの間にかこうなっていた。
彼女の後姿を見るたびに立ち止まったり、
彼女と話してる相手が誰なのか気になったり、
彼女が笑うたびに心臓が音を立てて跳ね上がったり、
……だめだ。これじゃ自分で自分を追い込んでいるのと何も変わらないじゃないか。

最近の僕はどこかがおかしい。ぐしゃりと前髪を握って頭を振る。
静かな応接室に、やけに大きく聞こえる時計の音さえ僕を馬鹿にしているよう。
けれどこの状況では仕方のないことか。
自嘲気味に一人笑ったところで、控えめなノックの音が応接室に響いた。
嘲笑を仕舞いこんで「入ったら」と投げやりに呟けば、


「失礼します。あの、雲雀くん?」


扉がとても静かにゆっくりと開いて、
隙間から、あの声、が。


「……さん。どうした、の」
「忙しいのにごめんなさい。先生に頼まれて書類とか持ってきたんだけど、どうしたら良いかな」
「…そう。そこへ置いといて」


もう一度「失礼します」と律儀に頭を下げてから、
机の隅のほうに書類を置くさんに、気が付いたら「ありがとう」と呟いていた。
…おかしい。やっぱり僕はどうかしている。
少なくともこの机についているとき、感謝の言葉なんて口にしたことは今の今までなかった、のに。


「…初めて聞いた」
「なにをだい」
「雲雀くんが私の名前を呼ぶところ」


もちろん名前くらい覚えているさ、だって僕の身に起こっているすべての症状の原因だ。
それより君だって初めてじゃないの。面と向かって僕の名前を口にしたのは。
おかげでこっちは大変なんだ。
さっきから脈拍と呼吸が言うことを聞いてくれない。


「同じクラスなのに、話したことなかったから。だから、覚えててくれて嬉しい。」


にこり、と控えめに微笑んで、
それじゃ失礼しました、なんて言い残してそのまま背中を向けようとするから、


「待って、よ」


思わず彼女の手首を掴んだ自分はどんな顔をしていたんだろう。
さんが驚いた顔で僕を見る。その視線はまっすぐ僕の目の中に注がれている。
細い手首に触れた指先が焼けるように、熱い。


「…時間あるなら、お茶、淹れて欲しいんだけど」





呼吸を諦めて
少年は目を閉じた
(これは恋じゃない。…はず)








2007/07/19
だってきみがいけないんだ。
僕を「雲雀くん」なんて、そんな柔らかい声で、ふわりと呼ぶから。