どうしてこんなことになったのか。

荒い呼吸をなんとか落ち着けようと、痛む左胸を押さえながらは考えていた。
身を隠した岩の向こうで何度目か分からない轟音が鳴る。
その中で不思議とよく通る笑い声に、くらりと軽い眩暈を覚えた気がした。


、だよねぇ』


この理由の分からない逃走劇の始まりは、
久しぶりにティファに会いに行こうと一人でエッジに向かっていたときだった。

もう少しで街に着くというとき、背中に突然声をかけられた。
知らない声だった。少し高い、成長期特有の少年の声。
どこか甘ったるい響きを含んだその音が呼んだのは確かに自分の名前だった。
誰だろうと振り向きかけたその一瞬、視界の端にちらりと映った銀の髪と黒い服に、


(―――似て、る)


背筋が、ぞくりとした。


次の瞬間には逃げ出していた。
本能からの警告が半分。もう半分は、その声の持ち主が振り下ろした刀のせいだ。
身体をひねって何とか最初の一撃をかわす。
そのまま街の住民に被害が出ないようにと、人気のない外の荒地まで必死に走った。

その辺りの記憶はもう曖昧だ。
とにかく逃げた。視線を合わせないように、その姿を極力見ないように。
感情の高ぶりに任せて指先から爆ぜる魔法は追っ手からを守りはしたが、
それだけで逃げ切れるほど、この少年は甘くはなかった。


「どうして逃げるんだよ? まだ何も話してないだろぉ」


笑い混じりの声とともに再び轟音が鳴った。
さっきよりも振動が大きい。近づいて、来ている。

一体あれは誰なのか、とか
何が目的で自分を狙うのか、とか
そういった当たり前の疑問なんて今はどうでも良かった。


(似てる。間違えるはずない。だって、ずっと一緒にいたもの。でもどうして)


そこまで考えて、脳裏に浮かび上がってきた姿に思わずぎゅっと目を閉じる。
ごくりと喉が鳴った。冷たい汗がこめかみを静かに伝っていく。
いくら目を逸らしたところで無駄だった。
声をかけられたあの瞬間だけで、には十分だったのだから。


(…いいや、似てるなんてものじゃない。あれは、まるで、 )



「みーつけた」



はっと顔をあげた時には、もう遅かった。


「…っう、あ……っ…!」


二枚刃の刀が、鈍い音をたてての肩を地面へと縫いつけた。
灼けるような鋭い痛みに声が出ない。
そんなの反応を面白がるように、ぐちゃりと濡れた音をたてて更に刀がねじ込まれる。


「ははっ! やっとこっち向いてくれた」
「……はなっ、…せ…!」
「『初めまして』はおかしいかな。ねぇ?」


血が溢れだす傷口になんとか手を伸ばそうとするを銀髪の少年は許さない。
の身体に馬乗りになると勢いよくその手を叩き落し、代わりに自分の手を彼女の首に置いた。
締めるわけでも撫でるわけでもない。
ただそっと、指の先でうっすらと触れるようにその輪郭をなぞるだけ。
痛みのせいで朦朧とする意識の中ではああ、と息を吐く。

この指先。懐かしい感触。
毎晩続く夢の中で、忘れられない過去の中で、何度も感じた。

私は、この指の持ち主を、



「…ねぇ、本当は分かってるんだろ? 
 何かもかも分かってて、分からないふりをしてるだけなんだろ?

 さっさと目覚めちゃえよ、お姫さまぁ」



相変わらず高い、けれど少しだけトーンを落とした声で囁きながら少年は刀を引き抜いた。
細い銀髪が風に揺れ、黒いコートの裾がはためく。

意識を飛ばす間際、閉じかけたの目に最後に映った魔晄色のその瞳は
確かにがかつて愛した男の眼だった。





8,眠り姫 を叩き起こせ








2006/11/17→2008/08/25
王子様のお迎えが来た。