「カイト」


さんが僕を呼ぶ。
小さくてやわらかな声で。安心しきった、いつもの声で。


「こっちにおいで。気持ちがいいよ」


ベランダに面した窓のそばで、ころりと横になったまま手招きしている。
陽がふんだんに当たる、さんお気に入りの場所。
僕は大人しく座っていたパソコンのそばを離れて、さんの横に静かに寝そべった。


「いい天気ですね」
「ね。なんだか眠くなっちゃう」


吐息のようなあくびを一つ漏らして、気持ちよさそうにカーペットに頬をつける。
白いレースのカーテンがさんのためにおだやかな影を作っていた。
カイトも一緒にお昼寝しようよ。
そういうさんの提案に、僕はあいまいな笑みで答える。


こうして横になっていたって、本当はちっとも眠くなんてならない。
天気が良いからといって気持ちよくなったりしないし、お腹だってすかない。

答えは簡単だ。僕が、ボーカロイドだから。

歌うことだけのために作られた僕は、どうがんばってもさんと同じにはなれない。
眠たいと目をこする彼女。お腹がすいたと笑う彼女。
せめて僕がさんとまったく違う姿かたちをしていれば、
こんなふうに、叶うはずもない余計な願いを持つこともなかったかもしれないのに。


カイト、という小さな呼びかけで我に返った。
カーペットから頬を離して、さんは僕をじっと見つめている。


「悲しそうな顔を、してる」


心配そうな表情で、僕の前髪を遠慮がちにそっと撫でる。
その優しさが僕を傷つけることにさんは気付かない。
僕をまっすぐに映す、生きたその瞳を見ていられなくて、まぶたをそっと伏せた。
さんが僕の髪を撫でる音がする。さらさら、さらさら。


「…ねぇカイト。なにか歌って」
「……いいですよ。なにが良いですか」
「どんな曲でもいいの。私が眠るまで、そばで歌っていて」


目を開けると、今度はさんが目を閉じていた。
抑えた呼吸に合わせてちいさな肩が上下している。無理に閉じられたまぶた、力の入った指先。
だから僕はその呼吸が寝息に変わるように、
自分のレパートリーの中から穏やかで優しい旋律の歌を探す。
音となって喉から流れてきたのは、しあわせなラブソングだった。





ラ・カンパネラ








2011/01/16
祝福された恋を歌う(けれど僕の恋が実ることはない)