生憎とチェスは嫌いだった。
日本生まれだったせいもあるし、将棋よりは囲碁の方が好きだったせいもある。
それがなぜ、俺は今ここでこうして黒の駒を並べているのか。


「神田くんはいつも黒だよね。囲碁をやるときも黒を選ぶの?」
「…気分で決めるが、後攻の方がやりやすい」


そうなんだ、と笑ったは「よろしくお願いします」と軽く頭を下げてから、
自分の前に並べられた白のポーンを一つ動かす。
あいかわらず律儀なやつだ。

とは何度か任務で一緒になったし、それ以外にも何か妙な縁でもあるのか、
ホームに帰っても今のように一緒にいることが多い。
そのせいだろうか。
他の奴らに比べて気が合うという自覚が、少なからず、ある。


かたり、かたりと、黒白のボードを進んでいく駒たちの音が部屋に響く。
窓からそっと差し込む陽光はわずかに赤みを帯び始めていて、
盤上に伸びる影を少しずつ長く、色濃くしている。
この時間帯の談話室はいつも静かだ。

が俺をチェスに誘うのは、いつも決まって談話室の一番窓側の席。
以前それとなく聞いてみると「陽の光が肌に触れる感触が好き」なんだと笑っていた。
そういえば、天気のいい日はいつもその席で紅茶を飲んだり読書をしたりしていた気がする。
しかし、彼女が任務で出払っているときや雨がひどい日、席は決まって無人だった。
良くも悪くも他人に大きな影響を与えるのことだ。
おそらく他の仲間たちにも知れているんだろう。

彼女の特等席だと認知されるようになっていたこの場所に誘われるのは、
なぜか妙に誇らしかった。


(何故?)


そんなことを考えているうちに、彼女のナイトが俺のルークを奪う。
仕返しとばかりにのルークをビショップで倒してやると、
形の良い眉を少し寄せて、恨めしそうにこちらを見つめると目が合った。


「…どうしてそう、取ってほしくない所ばっかり神田くんは取るんだろう」
「馬鹿。じゃなきゃ勝負にならないだろ」
「それはそうだけど…」


困ったなぁ、と考えこみ始めるに思わず唇の端が上がった。



生憎とチェスは嫌いだった。
嫌いなのに、の誘いとなると話は別になる。
鍛錬があっても食事がまだでも、付き合ってやろうと思ってしまう。
なぜかは自分でも分からない。

…ただ、何となく。
チェスに限らず、彼女と一緒に過ごす時間は居心地が良かった。
それだけだ。


(何故?)


彼女だけが特別。彼女だけは特別。
この感情は何だ?
じっと考え込んでいるを見つめながら、
先程までの思考と共に自分への疑問を投げかけてみる。


(何故?)
(何故?)
(―――ああ、これはきっと、)


確かな名前は知らなくとも、
この胸にひっそりと眠る気持ちの正体は何となく知っている気がした。
ただ、そうと分かれば早く、早くこの気持ちに白黒つけなくては。

彼女がどこぞのキングに押し倒されてしまう前に。





070, チェス
(それが 本当 の始まり)










2006/01/16