医務室はあいかわらず薬品独特の匂いで溢れていた。 しかし今、それ以上にこの部屋を支配していたのはもっと別のもの。 鼻につく、錆びた鉄にも似たきつい匂い。 ひどく嗅ぎ慣れた気がするその匂いは、 苦しげに顔を歪めながら横になっているの身体から流れ出たものだった。 医者曰く、『全治二ヶ月』。 久々に任務から帰ってきたと思ったらこれだ。 呼吸を乱しながらも昏々と眠り続ける彼女に、思わず舌打ちが漏れた。 こんな自分の反応は別に間違っていない。つい半年前にも同じようなことがあったから。 前回と違うのは傷が少しばかり深いことと、意識がないことくらいか。 人使いの荒い上層部の奴らにも腹が立つが、 こんな大怪我を負うまでホームに帰ってこないもだ。 意識が戻ったら説教の一つでもしてやろうと、 付き添いの看護師を追い出し、ベッド横の椅子に腰を下ろして、今に至る。 傷による高熱にうなされる頬は赤みを帯びて、わずかに開いた唇は赤く濡れている。 剥き出しの細い肩に貼られたガーゼに滲んでいる血は、 白い肌とのコントラストのせいか、彼女を囲む赤の中でも一際目立った。 充満した血の匂いに酔わされたのか、 それとも数カ月ぶりに会ったの喘ぎ声に理性が飛んだのか、 自分でもよく分からない。 ただ、唐突に、その唇に口付けたいと思った。 物音を立てないよう席を立って、眠る彼女へと近付き腰を屈めた。 そっと息を潜めて唇を落とす。がちいさく呻いたが構わなかった。 舌を侵入させ、歯列をなぞり、音を立てて彼女を貪る。 想像はしていたものの、血の匂いは彼女の口内にまでも溢れ返っていた。 ぬるい唾液が唇の端を伝っていく。 血の匂いを感じながら、その赤色を視界の隅に認めながら、 なぜかふと、幼い頃その酸味に顔をしかめた果実のことを思いだした。 今となっては遠い昔。記憶の奥底にしまったはずの過去。 熟しすぎた柘榴の、そのきらめくような美しさに、 そんなに甘くも美味くもないものだと知っていながら、 幼い自分は固い殻を割った間からこぼれた小さな実を、長い時間をかけてひとつひとつ食べた。 そんな光景が何故かひどく脳裏に焼き付いている。 あのとき手を伸ばしたあの赤は、 今まさに目にしている血よりも赤く、あかく、熟れて。 時間をかけて口内を味わった後、ゆっくりと唇を離した。 二人の間をわずかに繋いで切れた唾液の残骸を乱暴に手の甲で拭う。 は少しだけ眉根を寄せたが、意識が戻ることはなかった。 クッ、と無意識のうちに喉が鳴る。 いつ互いが地に落ちるかも分からない状況の中の恋とはこんなものか。 口に残る鉄味に自嘲気味に笑った。 記憶の中のあの果実が、甘みを帯びる日は来るのだろうか。
柘榴戀
2006/01/16 この恋は死の味がする |