昨夜は雨が降った。それは知ってる。 この時期の雨は冷え込むから、小十郎が畑の様子を心配していた。それも知ってる。 だけど、これは。 少なくとも私には、予想外の出来事だった。
金色の風が降る
「ここにいやがったか」 落ち葉を踏む音に振り向くと、少し息を切らせた小十郎が近付いてきて、 捕まえたとでも言うように私の肩に手を置いた。 予想もしなかった彼の登場に驚きながらも「おはよう小十郎」と声を掛けると、 一応返事はしてくれたものの、呆れたように息を吐かれる。 「ったく。朝は早いはずのお前の姿が見えねぇと心配するだろうが」 「あ、ご、ごめんなさい。朝餉までは時間があると思って…」 「まぁ良い。で、こんな所で何やってたんだ」 「…誘惑に負けたの」 私の言い回しに首を傾げる小十郎に『私が負けたもの』を指差してみせた。 門を抜けて少し歩いたところにある並木道。 そこに散らばった奇妙な形、重なる質感、広がる鮮やかな色。 「…イチョウか?」 「そう。どうしても間近で見たくて」 朝一番に自室の丸窓から見えたのがこの金色の波だった。 数日前にようやく全部の葉が色付いたと思っていたのだけれど、 昨夜の雨でごっそり葉が落ちてしまったらしい。 残念だな、と思ったのはほんの一瞬。 次の瞬間には着替えもそこそこに、上着を掴んで部屋を飛び出していた。 「まるで雪の日にはしゃぐガキだな」 「あっひどい! だってほら、こんなに綺麗なのに」 でも小十郎の言うとおり、この感覚は新雪に足跡を付けるときの気持ちに似ている。 一面に広がったイチョウの鮮やかさに目を細めて、音を立ててその金色を踏みしめて。 まだ誰にも踏まれていないうちなら形の綺麗な葉を拾うのも楽しめる。 これはきっと、汚れていない真っ白な雪にどうしようもない愛おしさを感じるのと同じ。 とはいえ、少しはしゃぎ過ぎたかもしれない。 寒さの厳しい奥州で、薄い上着一枚での早朝の散歩は少しつらい。 小十郎もそれが言いたかったのか、「もう気は済んだか」と目だけで聞いてくる。 「そうね。そろそろ戻ろうかな」 「政宗様もをお待ちだ。朝餉にもちょうど良い頃合いだろう」 「あたたかいお茶が飲みたいな。今日も寒くなりそう」 「…次に此処へ来るときは、一声掛けろ」 「え?」 「俺もついて行く」 急に声を潜めた小十郎に思わず視線を向けると、音もなく手を握られた。 冷えた身体にじわりと広がる熱が心地良い。 「こんなに冷やしやがって、」 私の手を握るそれとは反対の彼の手が頬を撫でる。 大きな手はするりと私の顔を包んで、その指は静かに私の唇へ、
(銀杏の世界を、彼が覆った)
口付けが落ちる予感に目を閉じたその瞬間を、 新たに舞ったイチョウの葉が金色の世界から隠した。 2007/12/03 期末テストの帰り道、雨に濡れた銀杏の道がとても綺麗だったので。 数日遅れの英雄外伝お祝い! |