「おや、感心しませんね。女性がこんな時間に、それもたった一人で」


静かな夜更け。
月明かりを頼りに、中庭の藤の花を愛でていた私の背後に
ゆらりと誰かの気配が現れた。
まるで夜の闇から生まれた者のように音もなく近付いてくるその人を振り返る。


「お戻りになっていらっしゃったんですか」
「出迎えの言葉もなしですか。寂しいですねぇ」
「…ご無事で何よりです。光秀さま」


私が名前を呼んだことに満足したのか、にっこりと笑う光秀さまは
その全身に妖しく黒光りする赤色をまとっていた。
少し前に近くの国境へ戦に赴いたと聞いていたが、どうやら今がその帰り道で、
わざわざこちらに寄ってくださったらしい。

お怪我は、と訊ねようとしたけれど、
この人がそこらの敵兵の攻撃を受けるところなんて想像も出来なかったので止めておいた。
身体を染める血がたとえ全て返り血だったとしても、
彼に怪我がないのならそれで十分だと思う私はどうかしてるのかも知れない。


「少し見ぬ間に、随分と咲きましたね」


足音もなく私の隣に並んで立つ光秀さまは、
その青白い頬にこびり付いた血をぬぐうこともしないで庭を見渡す。
むせ返る満開の藤花の香り。
それに紛れて肌を刺すような、甘く痺れるような鉄と戦火の香りが私をくすぐった。



「……ああ、やはり良い。

 夜桜も良いが、貴女には下がり藤がよく似合う」



早く帰ってきて良かった。
うっとりと目を細めてそう囁く光秀さまは花に酔っていらっしゃったのか、
それとも血に酔っていらっしゃったのか。

どちらにしても、恭しいほどの手付きで私を抱き寄せたその腕から逃れる術なんて
私にも満開の藤にもあるはずがなかった。



月明かり。花の下。隠れる。狂気の瞳。やさしい抱擁。

鉄蜜の、くちづけ。






ひそやかに会う








2006/11/19
月明かりは見ていた夜の密会。