「死なないで、  」


女はかろうじて聞き取れる声でそう呟きながら泣き崩れた。
彼女の身体と涙を受け止めたベッドの上に横たわった男は、青白い顔にかすかな笑みを浮かべる。
美しい二つの色の目を持つ男だった。
男は嗚咽をこらえている彼女に手を伸ばし、涙に濡れた頬を手のひらで包んだ。
たったそれだけの動作でも病に侵された彼の身体は悲鳴を上げた。
浅い呼吸の中で息を止め、漏れそうになる呻き声を必死にこらえる。
それがさらに心臓の残り少ない鼓動をわずかに早めたが、彼は気にしなかった。

男が苦しむ気配を感じ取った女が顔を上げる。
愛する男の最期の気配に怯えながら、しかし今日はじめて男の前で泣いた彼女は、
添えられた手のひらの感触を忘れないように自分の手を重ねた。
そのことに満足して、色違いの瞳の中にやさしい感情を浮かべた男は微笑む。


「僕はあなたを縛るつもりはない」

「けれど、いつか必ずあなたを捕まえる」

「言わせてください、これだけ、は」




Myosotis
「僕を忘れないで」




「私、ワスレナグサって嫌いよ」
「…どうして?」
「だって、わけもなく苦しくなるんだもの。嫌いよ、理由も分からない感情なんて」
「……ふふ」
「なぁに骸。そんなに笑って」
「なんでもありませんよ」


学校からの帰り道、通りがかった花屋の前で立ち止まって、
鉢植えのワスレナグサを見つめながら頬を膨らませたに思わず笑みがこぼれた。
閉じた右目の奥で走馬灯のように浮かんでは消える、
病室のベッド、伸ばした手のひら、彼女の涙。

ねぇ
きみがその花を嫌う理由がいつか昔の僕だったと知ったら、
きみはどんな顔をしますか。



良かった。
あなたはちゃんと
捕らわれているのですね。






2008/09/21