「ねぇ骸」
「なんですか?」
「あなたはどこから来たの?」


薄暗い廃墟のホールで、中央に置かれたソファに横になっていたが、
ふいに身体を起こして僕の方を見た。


「地獄、ですよ」


どこから来たのと聞かれたから、かすかな微笑みを浮かべてそう答えた。
マフィアの元で過ごした幼少の日々を地獄というなら確かにそうだっただろうし、
そんな生活よりさらにひどい経験をしたことがないとは言えなかったから。

想像もしない答えだったのか、は目をぱちぱちさせながら僕の顔を見つめた。
たしかに彼女はすこし変わっているけれど、
(だって誘拐犯である僕を警戒するどころか、この場所から逃げようとすらしないのだ)
僕と出会うまで、は至って普通の日本の娘だったのだ。

怖いですかと、聞いてみる。

は少しだけ考えるようにうつむいて、いいえ、とはっきり言った。


わずかに驚いた顔を見せた僕に気付いているのかいないのか、彼女は手招きをして僕を呼ぶ。
大人しく隣に腰を下ろすと、小さな頭を僕の肩にそっと預けてきた。
いつもよりすこし体温が高い。眠いのかもしれない。


「ただ、骸が来た場所なら、見てみたいと思ったの」


呼吸と共にこぼれた声は小さかったけれど、
その言葉はこの心臓の鼓動を一瞬早めるには充分だった。


「……クフフ」
「なぁに。私、なにかおかしいこと言った?」
「いいえ。やはり君は、僕が思ったとおりのひとだ」


ああなんておろかで愛しい娘!
平和の中で生きてきた君には分からないでしょうね。
僕が見てきたもの、暮らしてきた場所、生きてきた世界。
しかしそれすらも受け入れてしまいそうな君がひどく滑稽で、そして愛おしい。





失楽園





こうしてイヴはアダムをそそのかしたのだろうか。
無知ゆえに純粋でうつくしい生き物。
イヴに魅入られたアダムは恋の苦しみを知ったのだ。






2010/01/18
楽園を失ったのは君自身のせいだよ