開け放した窓から気持ちのいい風が入る日の午後だった。
春は嫌いだが春風は悪くない。
俺は貴重な休暇を愛する女の隣で過ごすという、実に有意義な時間の使い方をしていたはずで、
も会えなかった日々の空白を埋めるように俺の傍にいたはずだった。


それは本当に突然のことだった。
意識が揺らいだ、とでも言えばいいのだろうか。
それまでの心地よさが掻き消えて、かわりに妙な感覚が全身をおおった。
例えるなら、得体の知れない何かに意識を占領されたような。
なぜかは分からない。だが、いやな感覚、だった。

思わず視線を落とした、手の中にあるエスプレッソまで不気味に暗くよどんで見える。
黒い水面に映る自分が浮かない顔をしていることは確認するまでもなかった。
自分の中に生まれた違和感を持て余して、ごまかすように隣に座るの髪に手を伸ばす。
気配を感じたらしい彼女がゆっくりと振り返った。

細い肩を流れる金髪。
降り注ぐ光と同化して、今にも消えてしまいそうな、


「……リボーン?」


少し不安そうなの声で、ようやく意識が正常に戻った。
先ほどまでの妙な感覚の名残が指先に残っている。
「具合でも悪い?」と心配そうな顔をする彼女に「いいや」と答えかけて、

次の瞬間、気が付いた。
俺の意識を占領していた、得体の知れない『何か』の正体。


「お前に、 」


白いワンピースを着て、陽の当たる窓際のやわらかいソファに背中を預けながら
ミントティーを飲んでいるをひどく眩しく、そして遠くに感じた。

誰より知っているはずの彼女の白い肌や、金の髪や、持っているミントティーさえも。
彼女に関する全てのものが急に、本当に急に、
俺の知らない世界のもの、異質なもののように見えたのだ。


「お前に、触っちゃならねえ気がした」


降り注いでいた太陽の光が雲に遮られ、数秒だけ部屋から光が消えた。
すぐに元に戻ったが、陽光が消えていたその数秒間、はじっと俺の顔を見ていた。
そして光が戻ってきたその時、おもむろに俺からエスプレッソの入ったカップを取り上げると、
ゆっくり、しかし一息に黒い中身を飲み干した。

カップを奪われたことよりも、がコーヒーを飲み干したことに驚いた。
普段はカフェオレしか飲めない彼女がキツめのブラックを、それも自ら進んで飲むとは。
案の定、は盛大に顔をしかめて「苦い」と呟いた。


「こんなに苦いものばかり飲んでるからよ」


そう言って、空になったカップのかわりに自分のミントティーを持たせてきた。
中身があと半分ほど残っているグラスの中で氷が泳いでいる。
目で促されて口を付ける。シロップの甘さが染みるように口内に広がった。

そのまま飲み干すとはようやく満足そうに微笑んだ。
そして俺の肩に頭を軽く預けてくる。
少しだけ躊躇い、その小さな頭を右手で抱きとめた。


「大丈夫。私はここにいるし、リボーンもここにいる」


大丈夫、大丈夫、とくり返すの声に誘われるように髪に指を絡めてみる。
太陽の光を浴びていても金色の髪は消えなかった。
そんな当たり前のことを、けれど確かに安心して腕に力を込めた。
裸になった氷がカランと澄んだ音を立てている。





サンクチュアリ






2008/10/24
この手で触れられる聖域