重いまぶたを持ち上げて目を開いた。 その先は光だった。 見渡すかぎり白一色の世界。 ぼんやりしたまま掌に視線を落とすと、自分だけがかろうじて色彩を保っているのが分かる。 足元がふわふわする。そこに立っているはずなのに、地面の感触がない。 音もなければ、温度もなく、時もない。 首を傾けてみると、立っているはずの場所からはるか下の方に一筋の線が流れていた。 ずいぶん遠い。まるで糸のようだ。 淡い翡翠色のそれはゆるやかなカーブを繰り返しながら、 どこまでも果てしなく続いている。 ああ、懐かしいな。 そう思った瞬間、細い流れは強烈なまでに光を増した。 波を高くし、水飛沫をあげ、一筋の流れは瞬く間にすべてを覆い尽くす海になった。 がくりと身体が傾く。 バランスを失った上半身と足場をなくした両脚が不思議の海に迫る。 ―――呑み込まれる。 予感に、まぶたを閉じかけたその時。宙を舞った私の腕を何かが、誰かが掴んだ。 力強い中にも感じられる気遣い、細くて長い指。 ああ、私はきっと、この指の持ち主を知っている。 されるがままに引き上げられると、 まるでそこに透明な足場でもあるかのように宙を浮いていた身体が安定した。 それでも足を地面に着いているという実感はないのだけれど。 「これだからお前は目が離せないと言うんだ」 香るように低く笑った声。いまだ離れない優しい腕。 「……セフィ、ロス…?」 薄い唇が、透き通る瞳が形作る微笑みは、間違いなく私が愛した彼のもので。 次の瞬間には口付けていた。私ではなく、彼が。 顎に手を添えられ、唇を舐められ、舌を求められて、嬉しいはずなのに私はなぜか泣きそうになる。 それがどうしてなのか、自分でも分からない。 どれだけそうしていたんだろう。 離れていく唇の余韻に思わず彼の顔を見上げると、ぽつり、とその滑らかな頬に一滴の水が垂れた。 涙じゃない。その証拠に、私の頬にも水が触れた。 雨だ。私とセフィロスの足の下に広がる海と同じ色をした、細い霧雨。 「濡れてしまうぞ」 さぁ早く、と急かすように肩に羽織っていていたいつものコートを広げて、彼は私を中へと招いた。 ふわふわとした感覚はそのまま、誘われるようにその胸元にすり寄って、ぎくりとする。 「…これ……」 「大したことはない」 「でも、こんなに」 コートの下に隠されていたのは、見たこともないほどに深い傷跡だった。 なぜ、どうしてこんな怪我を? セフィロスが傷を負うこと自体、普段なら有り得ないことなのに。 「痕に、なってる」 おそるおそる手を伸ばして、肩から腹部を切り裂いたその傷に触れた。 指先でなぞるように辿り、彼の顔を見上げて 唐突に、理解した。 この傷を負わせたのは私。 彼へと振り上げられた仲間の剣を止めなかった。 伸びそうになる腕を、感情を、ただ必死に押し殺して 私は、彼の最期を、 「…自分を責めるな、」 やわらかな声音に反応するかのようにセフィロスの顔が揺らいだ。 顔だけじゃない。目の前にある胸板も、肩に添えられた腕も。 降り注ぐ雨に濡れたところから、彼の姿はにじむように辺りの白に溶けていく。 「…いや……セフィロス、待って」 私を、置いていかないで。 叫びそうになって、すんでの所でやめた。 私にそれを言う資格はない。 だって彼は今、星に還ろうとする私をこうして守ってくれている。 だから、口付けた。 必死に。懸命に。今にも輪郭を失ってここから消えてしまいそうな彼を繋ぎ止めるように。 傷口には淡緑の光が無数の帯となって集まっている。 見えないふりをして彼を求め続けた。 じわりと浮かんだ目の奥の熱を逃がすように瞬きを繰り返す。 潤んだ目に彼が気付いていないと良い。 もう随分と背景に溶けてしまった彼の身体を抱きしめた。 もっと、もっと自分からこうしてあげれば良かった。彼はいつだって喜んでくれたのに。 もう、遅い。何もかも。 「…大胆になったな」 声にならない声をあげる私をやさしく抱きしめ返した彼が、困ったように笑った。 41, 消えない傷跡 「俺が消える前なら嬉しかったんだがな。 さようならだ。愛しい、俺の」 2006/08/26 そうして彼は溶けて消えた。 とても、とても大事に書きました。少しでも共感して頂ければ嬉しいです。 |