其処は、黒と白とが支配する世界だった。
Mettre de la couleur
気が付いたとき、バージルはたった一人でその場に立ち尽くしていた。 素足に触れる地面は晩秋の冷たい雨に濡れたあとのように柔らかく、 下ろした前髪を揺らす風はいっそ不快になるほど重く生温い。 ふと違和感を感じて自分の手へと視線を下ろす。 映ったのは子供の、成長途中の小さな指。 妙な感覚を掌の中に握りつぶしながら辺りを見渡すと、 暗い視界の中で、不規則的に並んだ墓石がやけに白く浮かび上がった。 見目も温度も感覚も、夢にしてはあまりにリアル。 現実にしてはあまりに奇妙。 ならば、これは何だ? そう自らに問い掛けた瞬間、何かが地中で蠢く気配が足裏に伝わった。 本能的に、すぐ傍の地面に剥き出しのまま突き刺さっていた愛刀へ手を伸ばす。 刀の柄を掴むと同時に墓石の埋まる地面が割れ、白い手が土を掴んだ。 明らかに生きた人間の手などではない。 爪や皮膚は勿論、骨格を隠す肉さえもなかった。 悪魔でもなければ死神でもない。それはまさに、骨だけの生き物。 「……っ!!」 鋭く息を呑んで、普段より重く感じる刀を振る。 纏わりついてくる骸骨たちを薙ぎ払いながら、思うように動かない身体に舌打ちが漏れた。 所詮、子供の力ではこれが限界か。 地面からわき出る骸骨に際限はない。 そう。それはまるで―――恐怖、そのもの。 『あなたは逃げなさい』 突然、誰かがバージルの耳奥で囁いた。 気を取られた隙を突かれ、一匹の骸骨が振りかざした鎌が左胸を貫く。 ヒュウ、と鳴る自分の喉。 それを合図に、壊れた人形のように一斉に叫び出す声が耳の奥で轟音と化す。 灼けるような痛みに身を捩れば、流れ出た血が身体のラインを伝っては地面に落ちた。 瞬く間に塞がるはずの傷が閉じない。 どくどくと血を流し続ける様は、まるで脆い人間そのものだ。 『ダン、テぇっ…!!』 そう。血みどろになりながらも己の子供を救おうとした、あの女のような。 悲鳴を上げたその声を食らい尽くした骸骨たちは、今度はバージルへとその牙を向ける。 獰猛さを含んだその動きは醜悪と言い切ってしまうにはあまりにも潔い。 いよいよ間近に迫った恐怖たちを前に、静かにバージルは目を閉じた。 振り上げられる鎌の風。耳に溢れる騒音。 そして――― 「―――…ジル、バージル」 聞こえてきた軽やかな声に、うすく目を開いた。 そこにあったのはさっきまでの黒白の世界ではなく、柔らかい色の天井と小さなシャンデリア。 胸を貫いていた痛みが触れる手の冷たさによって引いていく。 軽く肩を叩かれる感覚に目線を下ろせば、 困ったような顔でこちらを見上げると視線がかち合った。 「少し魘されてたみたいだけど…どうかしたの? 大丈夫?」 「……いや…」 ああ、あれはやはり夢だったのか。 納得しようとしたものの、出来なかった。直感にも似た確信。 「…過去を、思い出していた」 そう、と静かに頷いたは決してそれ以上を聞こうとはしなかった。 代わりにそっと腕を伸ばして、バージルの身体を抱いた。 自分の胸の中でサラリと流れる金の髪にバージルは眩暈のような錯覚を覚える。 あの瞬間、黒白の世界に確かに溢れたのは 深い黒でも果てのない白でもない、輪郭を持った彼女の金色のひかり。 その暖かさを思い出し、指の間をすり抜けていく金糸をかき集めるように抱いた。 恐怖からこの身を救ってくれた光。もう二度と、手放すものか。 もう二度と。 「…、」 「なぁに?」 「世界は、色があるからこそ美しいのだと、そう思う」 孤高の悪魔に彩りを与えた光は、掻き抱いた胸の中で静かに微笑む。 2006/05/29 コミックス2巻購入記念に(発売から期間が空きすぎてるのは秘密ですよ…!) 題名の「Mettre de la couleur」(メトル ドゥ ラ クルォル)は フランス語で「色を置く」という意味だったかと思います。絵画の専門用語だったかな… |