「泣いているようだ」

「…泣いてるって、空が?」


私の問いかけに静かに頷くバージルの横で、彼の言う「泣いているような」空を見上げた。
しばらく雨続きだったせいもあって、雲の間から覗くうすい青色は
いつもより爽やかに透き通っている気さえする。

…少なくとも私には、雨が降る心配だけはないように見えるのだけれど。
〈もし本当に降り出してしまったら干しっぱなしの洗濯物が危ない〉


「―――無粋な線に切り刻まれているように見える。俺にはな」


頭を捻っていた私を見かねてか、説明するように重ねられた言葉。
わずかに寄った眉間の皺と、低く落とされた声のトーンで
ようやく彼の言いたいことが分かった。


「電柱の線、か…。確かに、言われてみればそう見えるかもね」


そう、こうして言われてみれば。
縦横無尽に宙を走る黒い線は、見える空の必ずどこかを浸食していた。

時折どこからかやってくる悪魔に襲われる以外はごく普通の育ち方をしてきた私にとって、
それはすでに日常風景そのものだったのだけれど。
彼にしてみればあの線たちは、美しい色彩を邪魔するものでしかないのだろう。


「そういうときはね、見方を変えてみるのよ」
「見方?」
「捉え方、って言った方が良いかも知れない」


今度はバージルが首を傾げる番だった。
これから続ける言葉を、この生真面目な男はどう受け取るのか。
考えてみると何だかおかしくて、思い出し笑いでもするように頬を緩ませる。


「小さい頃ね、あの線は空の模様だと思っていたの」


これじゃまるで詩人みたいだ。
少しだけ思ったけれど、不思議と恥ずかしくはなかった。
それは多分、バージルの目が真剣に私の話を聞いてくれていたのが分かったから。


「今となっては月夜を見上げることの方が多くなってしまったけれど。
 どうせ同じものを見るなら、そう考えた方が楽しいでしょう?」
「……そうか」


少しの間を置いて返ってきた、納得したような呟きと共に
順調に進んでいたはずの彼の足が止まった。
つられて歩みを止めてしまった私におもむろに近付いてきたかと思うと、
次の瞬間には、もう視界から彼の姿が消えていた。

足が地面から離れる感触と、身体が宙に浮くような妙な浮遊感。


「…っ、ちょっと、バージル……!!」
「見方を変えてみるんだろう?」


誰も見ていないさ、と唇の端をわずかに上げて
私の身体を横抱きにして、軽いステップを響かせながら半魔の彼は空を駆ける。
トンッときれいに足を揃えて着地したのは、この辺りで一番高い建物の屋上。


「…確かに。ここから見れば、まるで窓枠のようだな」


遮るものが全てなくなった場所から、細く長く走る伝線を今度は見下ろして
バージルは腕の中の私に、そう満足そうに微笑んだ。






蒼が透き通った空の日










2006/06/18
空の写真を撮るとき、いつも隅にはあの線があるのを意識して、ふと思い立ったネタ。