雨が降っていた。
リズミカルに窓ガラスを揺らす水滴の音と、時計の秒針が動く音。
それらを聞きながらヴィンセントは途方に暮れていた。
廊下に立ち尽くしたまま、手にしたカップはすでに冷たくなっている。

一緒に暮らすうちに自然と作り方を覚えてしまったミルクティーを、
がいつも使っているカップに注いだまではいい。
自分には少しばかり甘すぎる紅茶を手渡すでもなく、そのまま廊下を右往左往する姿は、
いつものが見たなら思わずくすりと笑ってしまうものだっただろう。

そう。いつもの彼女、なら。


星の選択を見届け、行くあてもない者同士でこれまで生活してきた。
あれからすでに二年近くが経っていたが、相変わらずこの奇妙な同棲は続いている。
しばしば体調を崩すようになってしまったの様子を見守るのは苦痛ではなかったし、
彼女の持つ穏やかな雰囲気や、広い人脈に世話になっていたのも確かだった。
しかし、そんな二人の間にも踏み込めない領域というものがある。

『お互いが自室に閉じこもっているとき、不自然に黙っているとき、
 そして殺気を発しているときは、どんな事情があろうとも放っておく』。

それが共に暮らすうちにできた暗黙の了解だった。
そしてそれこそ、ヴィンセントが今こうして立ち往生している原因でもある。



最近「夢見が悪いの」と言って、食欲もなくなってきていた矢先だった。
この、初秋にしてはひどく冷たい雨が降り出したのは。
以前にもこういうことが何度かあったから知っているのだが、
どうやら「雨の日」というのは、彼女の中でなにか大きな意味を持っているらしい。

が自室に閉じこもって、今日でもう二日になる。
ただでさえ身体の弱い彼女だ。
顔を見ていない以上、募っていくのは不安と心配ばかりで。


「…、」


小さく名を呼んだ。
無論、それがドアの向こうにいる彼女に届くはずがないと知ってはいたけれど。

のように芯の通っている女性こそ、全てを抱え込んでしまう傾向にあることを
過去に彼女と気質のよく似た女性を失っているヴィンセントは知っていた。
…もしも、だ。
もしも彼女のように、も微笑みを失ってしまったら―――


ぱたり。

突然聞こえた、渦巻く思考を遮ったその音を、
ヴィンセントは雨粒がどこからか紛れ込んできたのだと思った。
しかし堅いコンクリートで固められた、決して古くはない家が雨漏りなどするはずがない。
そう考えているうちに、

ぱた、ぱたりと

先程と同じような水滴の音が、今度は連続して響く。


いつの間にか音を弱めた雨音。
その代わりとでもいうように、雨粒のような水滴が頬を伝い、
すっかり冷めた紅茶の中に吸い込まれていく。
小さなカップで受け止めきれなかったものは少し遅れて、足元の床へと落ちた。


……涙、など。
地下で眠りにつく前に、とっくに枯らしてしまったはずだ。
それなのにこの生温い液体は自分の意志とは関係なく溢れて止まらない。
止まらない。

これは何だ。
この感情は何だ。
この痛みはなんだ。

これは、…


―――…ああ、そうか。

これは彼女への想いに気付いてしまった、自分への後悔の涙だ。





21,後悔 の哀








2005/11/06
私は、あの人を忘れるわけにはいかないのに。