ガタン、とひどい音が部屋の沈黙を破った。
赤いビロード張りの椅子が背中から床に倒れ伏す。
使い慣れた高価な椅子を犠牲に掴んだの腕はかすかに震えていた。


「知って、いたのか」


俺の声にはっと息を呑んで、耐えられないというような顔で目を閉じる。
膨れ上がる感情。確かになっていく疑惑。
そむけようとする顔を許さず、いささか強引に顎を掴んでこちらを向けさせる。


「お前も俺を裏切ってたのか」
「……ちがい、ます」


弱々しく小さい声をかろうじて耳が拾った。
九代目である父親(だと今の今まで思っていた老いぼれ)とやけに親しげだった
相続争いの話題が出ると、いつもどこか寂しげな目をしていた
こいつのことならよく知っている。
何しろ俺が薄汚い街からこの屋敷に来たころから俺の傍にいたのだ。
よく働き、よく話し、よく笑う女だった。

それが、もし。
もしも全てが隠された事実のためだったとしたら、


「ちがいます、それだけは、決して」
「ならどうして黙っていやがった!!」


震える唇は見えないふりをした。
指があまるほどに細い首を力任せに締め上げる。ミシリと骨が軋む嫌な音がした。
酸素が足りないせいだろう。うつろな目で切れ切れの息を吐きながら、
は首を絞めている俺の手に自分の指を添え、


「あなた様に、そんな目を、して欲しく、は、なかったの…っ」


赤を通り越して色味を失っていく頬を、涙が音もなく伝って俺の手首で撥ねた。
そのあまりに小さな感触と冷たさに思わず手を離す。
突然解放されたはそのまま床に崩れ落ち、苦しそうに何度も咳き込んだ。
俺の足元でうずくまる彼女はこんなにも小さな身体をしていただろうか。


肩で大きく息をしながらが顔を上げる。涙に濡れた目。
その唇が何か言葉を吐き出すより先に部屋を飛び出した。


鉛のような足を引きずって、無我夢中で廊下を走った。
ようやく人気のない部屋に滑り込み、ドアに背中を預けて座り込む。
息が乱れていた。走ったせいでは、ない。


「…、畜生が…っ…」


あまりの自分の無様さに引き攣った笑みが漏れた。
暗闇の中で、使い物にならない視界の代わりにの涙に濡れた手首だけが熱い。






沈黙のレプリカ、
壊したのはこの口






俺が今日あの事実を知らなければ、おそらくは今後も秘密を明かすことはなかっただろう。

(それが愛情だと理解できるほど、俺は愛を受けて育ってはこなかったのだ)








2008/08/22
沈黙と彼女と平穏を壊した